手術が決まってからの心

手術が決まってから、時折書いていた日記をまとめました。

(手術決定2日後)
今日は大好きなお鮨を食べに行った。
世界で一番大好きなお店で、ここにいると他のことなんてどうでも良くなってしまうお店。
でも、いつものようには楽しめなかった。
やはり具合が悪い。生物を食べると少し気持ちが悪い。
美味しいのに、本当に美味しいのに、心から味わえない。
悔しい。
思っているよりも、精神的に負担になっているのだと思った。
でも少し元気は出た。
やっぱり私は、こういう場所で、こういう食事をするのが好きだと思った。
それが私の幸せで、なくてはならないものだと思った。
楽しい。
食べたり、唸ったり、飲んだり、笑ったり。楽しい。
楽しい。
最近、いつも頭に病気のことがあって家にこもりがちになってた。
心からいつものようには楽しめなくても、こんな時間も大切だと思った。

(HPV16型の告知後)
悲しい。
眠れない。
なんでかな。
いつもは笑っていられても、夜ベッドに入って電気を消すと涙が出る。
不安。
不安だ。

(映画を見て感じた客観的な自分)
今日は映画を見た。
観客動員数が群を抜いて一位で、誰もが号泣するという映画。
綺麗な映画だった。
綺麗な音楽で、
綺麗なストーリーだった。
綺麗すぎた。
綺麗すぎて、感情移入が出来ない。全く泣けなかった。
そう言ったら、映画に感情移入なんて必要ないとれ言われたけれど。
全く共感出来なくて、私は感性が鈍いのかなと思った。
普段は涙もろい私だし、
こんなに毎晩のように泣いているのに笑
どのシーンを切り取ってもリアリティがなかったな。
大人になる過程で経験するであろう、何かを引き換えにすることの重みみたいなもの。
・・・でもそんなもの、知らなくたっていいのかもしれないな。
たとえば
高校生の私なら泣けたかも知れない。
今、こんな状況じゃなければ泣けたかもしれない。
何かを誰かを探していることを
希望と捉える人と
何かを誰かを探していることを
刹那と捉える人の
差だろうとおもった。
私はこの状況に、希望よりも刹那を感じているのだと思った。

(術前検査翌日)
女性ホルモンを高めるためにできることを調べた。
今日から全部やろう。
手術後も続ければ、リスクは確実に減るはず。
とある人に、「リスクがないことなんてないよ」
「健康な人にだって少なからずリスクはあるから、それが少し上がるだけだよ」って。
確かに、リスクゼロの人生なんてないけれど
わざわざリスクが起こることをするのだからそれを危惧して出来るだけ避けるのが当然だと思う。
リスクが1パーセントでもあるなら、それについて調べる。
それができるのは、身に迫った当事者だけだ。
病院のホームページや医療ページには、リスクは書かれていても数字だけで緩和策がない。
体験ブログでは一つの術式でその方の副作用しかなく全てを見て回らないといけない。
どちらも一緒に見られるサイトを、私が作りたいと改めて思った。

(何気ない日)
手術を控えていても、毎日は変わらずに過ぎていく。
私が仕事をするデスクには、大きな窓が目の前にあって、昼間は空がよく言える。
高度異形成と診断されたあの日から、よく空を見上げるようになった。
青くて、広くて、高くて、綺麗で、いつも心がぎゅうっとなった。
大丈夫。
だいじょうぶ。
頑張ろう。
がんばろう。

(手術2日前)
今日は親友が頑張れ会をしてくれた
お守りあげるねって、かぼちゃをくれた。
お花にしたかったけど、管理大変だろうからって。
ハロウィンが近かったこの日。
どこまでも気がきくし、優しいユーモアだと思った。
くだらないことで笑って
病気もジョークにして吹き飛ばして
こんな風にまた笑える時間をもっと重ねられるように
仕事も手術も頑張ろうと思った。